遊具でまともに遊ばない子ども【ロボット人間時代の終わり】
この記事は僕がノートに書き込んでいたことをコピペしたものです
口調も内容もバラバラですが、読める方はぜひ読み進めてください。
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子供は時々なぜ公園の遊具などを従来とは違う遊び方をしようとするのか
滑り台を反対から登ってみたり、登ってはいけないところに登ったり、よく分からないところから飛び降りたり。
自由性
最近はゲームでもMinecraftをはじめとして、自分の世界を最大の自由度を誇る創造するということの、一種のブームが生まれた
(リトルビックプラネットやRPGツクールなどは昔からあったが)創造のエッセンスが各所で大型タイトルに適用されて、しかも大きく売れている
グランドセフトでは主人公に特殊能力をつけるチートがあったり
他にも色々あったけど
僕も結構、記憶に多い、ルールをどこかで壊せるゲームっていうのはやけに楽しい
やることが決まってなくてぶっ飛んだゲームというのは常に求められていて、名作と呼ばれることが多い。
みんな、何かをぶっ飛ばして何かに夢中になる
ゲームのぶっ飛ばし要素や自由性と言い
遊具をまともに遊ばないことと言い
ここに含まれている最大の意味は
やはり、人は他人に決められたことにはときめかないということ
さらに、自分で決めたことにはときめくということ
そういった単純明快なメカニズムだ
ゲームで言うならFF13はストーリーや音楽や戦闘システムなどとても良かったのに、一本道で自由度が低いということから、クソゲー呼ばわりされるようになった(本当にストーリーや音楽は良いんです、、)
ここで、ルールというものを考え直したいと思う。
ルールを破る、約束を破る
こういった子供(あるいは大人)をみて、あなたは眉をしかめるかもしれない。
しかし、先ほど書いたことが「規則を破る」という行動を肯定している事実を踏まえて考えて欲しい
ルールを守ることが、人間最大の価値であるなら、ゲーム会社は自由なゲームなど廃止して、マリオリスペクトの横スクロールゲームだけ発売してれば良い
でも残念なことに規則を破ることには需要があるのだ。
ルールは本当に破ってはいけないのか
子どもから大人までなぜ規則を壊して自由を求めるのか
それは、自分探しであり、人生最大の課題であるアイデンティティの確立のためだとおもう
人は他人のルールを破る、ということを通して、そのはみ出した部分からやっと自分を見つけ出す。
ルールを最も破る反抗期は思春期の頃であるが、そもそも、自然のままに反抗期に頼るのは、少し残念なところがある
子供や大人がルールを破ることは、貴重な経験だ
自分探しだ
そう日々思うことで、少し見え方が変わる。
僕は他人のルールや期待に沿って生きて、最後の希望である反抗期すらほとんど発症しなかった
原因は未だ解明中であるが、とりあえずここ2年間で本を100冊近く読んでやっと、自分の感情、感覚の輪郭が見えてきて、アイデンティティも生まれてきた。
でも、これは相当な作業だった、数十年とある人生に比べれば2年なんてと言うかもしれない
そういうものではない。
そもそも2年間登ってきた巨大な壁は見るだけで気の遠くなる壁だ、それを10年後にも、20年後にも先延ばしできたという、そういう話だ、考えただけで鳥肌の立つ事実だ。
始めなければ始まらない
さらに僕に関して言えば、たまたまはじまったのだ。
誰に勧められたわけでもなく(多分、勧められても行動に移さない)なにか大きなきっかけがあったわけでもなく
ふとジュンク堂に行って、ふと本を立ち読みし、ふと本を買ってから、いわゆる自分探しの旅ははじまったのだ。
もしかしたらジュンク堂に行ってめんどくさくなって引き返したかもしれない
本を立ち読みして、目次を見ただけで目眩がして本をそっと棚に戻して、進撃の巨人を読み返して、伏線の考察を止めどなくしていたかもしれない。
本を買っても、ずっと読まずにインテリアと化すかもしれない、そもそも読んでも2冊目は買わなかったかもしれない。
そういった幾つもの関門を超えて今に至る
今思うほど、どれだけ頼りない糸で結ばれた、偶然の産物だったろうか。
この偶然が生まれることは、なかなかないと思っている
(だから、最近では常に引き返そうとしている自分を見つめる、そうしてればもっとすごい偶然を生み出せるかもしれないねと。)
だからこそ、これからの時代、より自分を見つけ出しやすい教育や価値観が広まれば良いなと思う。
ルールや期待で縛る人間ロボット時代は終わったのだ
AIが発展して、人間はより人間らしさを取り戻さなければいけなくなった
AIと人間の一つの大きな違いは、ルールを破って自分の行動プログラムを見つけ出すところにある
僕らは子供も大人も含めて、ルールという社会にある狭い枠と向き合わないといけない
人の期待というレールに乗っかるのは時代遅れだ
そんな言葉は今のご時世月並みではあるけれど。
犯罪をしろというわけではない。
思いやりと勇気のバランスが必要だ
もちろん足りないのは勇気の方で
僕も含めて、みんな思いやりすぎなんだと思う。
勇気が常に足りない
勇気といえば、アドラー心理学を説いた、ベストセラーに嫌われる勇気という本がある。
この著者である岸見一郎さんは他の書籍にてこんなことを述べていた
「人は自分に価値を感じた時だけ勇気を持てる」
これはすごくキーワードのような気がしてます
どうでしょうか
ではまた