青い鳥はつぶやく

オルタナティブ教育から、バイトをし結婚をし、グラフィックデザイナーやブロガーなどを目指しながら得たいろんな産物(知識や経験)をつぶやき続ける、そんなブログです。

【常識の分析】常識は最強で最低な武器である?

僕はまだ短い人生ではありますが、その半分以上の時間を他人のために使い込んだという自信があります。

 

悪い意味でです。

 

他人を思いやる、なんてことを美徳とする風潮も最近は批判されたりもしてますが。

 

やはり、そうやって生きてしまう強制力は社会の隅々に溢れ出しています。

 

調和なんていうのは足を引っ張り合ってるやつらの言い訳だ、みたいなことを言っていたのは岡本太郎さんだったでしょうか。

 

 

その通り、自分を顧みずに他人を思いやる調和など、足の引っ張りあいでしかないのです。

 

 

 

 

でもね、どうしてもやめられないんです。

 

その足の引っ張り合いを

 

引っ張られてしまうし

引っ張ってしまう。

 

魔法の言葉

「こうあるべきだよね?」

 

 

この、自分を含めた足を引っ張り合い集団の最大の武器は「常識」です

 

まずは常識を手放す

 

前の記事でもこんな記事を書きましたが。

 

aoitori-tubuyaku.hateblo.jp

 

この世界で決められたことなんて、何一つありません。

 

不特定多数が信じたからそこにある

 

それが常識の正体です。

 

我々、人類、ホモサピエンス嘘(フィクション)によって進化してきた

というのはサピエンス全史という有名な著書に記された興味深い見解ですが。

 

例えば、お金も政治も宗教も、数十億人という巨大な社会で信じ込まれたフィクションだからこそ、成立する。

物理的にはただの紙切れだったりするわけです。

 

その中には常識も含まれると思っています。

 

 

つまり常識嘘でありフィクションです。

 

特にこの国はその嘘を強烈に信じています。

 

なので常識を手放すことは思ってる以上に難しいこととなっているのです。

 

非常識な人こそ有利?

 

僕は普通の人より常識を手放しやすい立場にあるなと思っています。

 

それは、僕が大変非常識な人間だったからです。

 

環境で言えば、僕はよく大阪にある西成という地区に親とよく出向いていました。

 

今では、新世界やアベノハルカスなども近くにあり、ホテルも安いことから、旅行に来た人々の利用が多く、かなり整備が進んでいますが。

 

とにかく、当時は小便の匂いに塗れ、ブルーシートの家がたくさん並び、ぼったくりや違法販売のDVDやらが売られる朝イチがあり。

 

自分が見てないとこでは、より過激で曰く付きなエピソードはあるでしょうが、それは調べてもらうとして

僕はその環境にある程度慣れていました。

 

他の同級生を連れて行った時があったのですが、見事に引かれました。

 

それいがいにも中学から義務教育の場から離れ、フリースクールに行ったり

 

生活習慣も所々抜けていたり。

空気が読めなかったり。

みんなが当たり前に知っていることを知らない場面も多かったり。

 

常識から少しときには大きく外れた子供時代を送ってきました。

 

 

悩んだこともありながら、これらの良かった側面は、常識を掲げる機会がなかったことです。

 

 

周りには、たくさん常識を掲げられましたけどね。

 

とにかく常識を掲げるのは控えたほうがいいなと、常々思います。

 

常識は他人や自分の個性を認めないですし

 

思考停止もしてしまいます。

 

〇〇だから、やめたほうがいいよ

という、明確な理由や思いではなく。

 

みんな言ってるからやめたほうがいいよ、で済ましてしまうわけです。

 

やはり暴論ですし、なにより考える力が身につきません。

 

ただ、常識を武器にすることをやめたところで1番難しいのは

常識を武器にする人たちが周りにいること

ですよね、、

 

常識を手放せない最大の理由

 

常識というのは、世界規模もしくは国規模の多数決です。

 

1億人が住う日本なら必ず数千万人もの人が無意識に常識を持っています。

 

そして絶対にその傾向は無くならないと思っています。

なぜなら常識は本当に便利だからです。

 

だから、難しいことに、自分から変わるしかありません。

そういう意味で、常識を捨てることは相当の勇気がいります。

 

もし周りから常識を武器として掲げられた時、自分はどうすればいいのでしょうか。

 

 

僕はそれに対しての答えはは「気にしない」それに尽きると思います。

 

 

 

 

無理だよって言う人がいるならばはっきりと言いますが。

 

 

 

 

 

僕も無理です。

 

 

 

 

常識は先ほども言った通り世界規模の多数決なので、その力は絶大です。

それを、何も考えずに指先一つで振り回せるから、便利で、誰もが使いたくなるのです。

 

繰り返すようですが、常識は個性と考える力を失わせます。

 

 

僕は、常識という強烈な武器を気にしないことは無理ですと言いましたが

 

それは、今の僕ではという意味を含んでいます。

気にしないための能力が今の僕には備わってないのです。

 

 

デフォルト最強武器「常識」を無力化する能力

 

正直ここまで長々と書くつもりはなかったんですが、、

 

ここまで書いたので、進めたいと思います。

そろそろ終わりますので。

 

先ほどから、常識のデメリットは「個性」「考える力」を失わせるところにあると言いました。

 

 

 

この2つのワードが重要なのかなと僕は思っています

 

 

 

つまりですね、「個性」「考える力」を手に入れれば、常識を無力化することが出来ると、僕は思っています。

 

 

「個性」を確立するほど、常識に惑わされなくなる。

 

僕はそのために、とにかく自分の個性をいま分析したり。

個性強めたりしています。

 

昔から好きだったきらいだったものをまとめ、そこに共通点を見出したり

価値観リストをノートに整理したり

 

自分が好きなものをとことん探したり。

 

 

 

そして「考える力」については、ちょっと言い方が変わりますが。

 

考える力を手に入れたいというよりは

 

常識ならぬ知識を手に入れたい、ということでしょうか。

 

 

具体例を上げるためにちょうど良い、僕がきらいだった二つの生活習慣があるんですが。

 

それが、「歯磨き」と「耳かき」です。

 

非常識な僕はこれら嫌な生活習慣を回避して過ごしていました。

 

学校などで、そのことを言うと、「えーーー、、」とひかれてしまいました。

 

そこには常識があります。

 

しかし、常識であるからって、必ず必要なわけではないし、不要なわけでもありません。

 

今では、歯磨きはやらないと、胃腸に影響が出る、歯がボロボロになり噛み合わせが悪いと姿勢が悪くなり、関節の病気にかかることもある

 

ほとんどの老人が後悔したことに歯を大事にしなかったこと、を挙げているところを見たりして。

 

歯磨きは大事という、常識ではなく知識を手に入れたので、毎日歯磨きはしています。

 

 

一方で、耳かきについては、耳垢は自然排出されるので耳に異常がない限りは耳かきをする必要はないことや

 

むしろ、耳の内部を傷つけて炎症を起こしたり、耳垢を奥に押し込んでしまい耳の中を塞いでしまう可能性があると指摘されているので、耳掃除は一切していません。

 

 

 

僕が言いたいのは、知識で常識を覆せ

とかではなくて。

 

常識に頼らずに知識で行動を修正していくことが大事だということなんです。

 

 

たしかに常識はたくさんの人が信じてるだけあって、正しい常識も多いです。

 

ですが、根拠がみんな言ってるから

というのは、やはり知性に欠けます。

 

 

 

 

大事なのはそこなんです。

 

常識を気にしないというのは。

 

常識に対抗するということではなく

もちろん屈服することでもなく。

 

 

常識と一定の距離を置くことです。

 

周りに常識があることは認めながらも

 

自分の知識を信じ、個性を信じる

 

なんか常識ってのがあるらしいよ?

 

みたいなスタンスです。(ようわからん)

 

長々しく書きましたが。

 

みんなもそうしましょう、などと言うつもりは毛頭なく。

今回の記事は、自分はそんなふうに生きていくよ、という意思表示です。

 

というか僕の記事は全てそういうニュアンス、スタンスです。

 

常識として押し付けたくないがためのスタンスでしょうか。

 

なんか言ってるなと

面白がってくれたらと思います。

 

一読いただき、ありがとうございました。

 

 

 

サピエンス全史(上)文明の構造と人類の幸福

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